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2009年6月

2009年6月28日 (日)

東国原知事の発言にTVは大騒動ですけど

連日、各番組で取り上げるほどのことなのでしょうか。

自民党が出馬要請したら、条件として全国知事会の要望をマニフェストに入れることと、自らを次期総裁候補として扱うことを挙げたことが、大きなニュースとなっています。でもねえ、知事だって、今更、一兵卒として働こうなどとは思ってないでしょうし、それぐらいの条件は当然と言えば当然ですし、かといって騒ぐほどのことは無いでしょう。本当に総裁候補として担ぎ上げられてから騒げばよいのに。

直接選挙で選ばれる大統領型の知事と異なり、国会議員は、たかだか約五百分の一程度の影響力しかありません。実力者と呼ばれるようになっても、せいぜい数十分の一、総理総裁でさえ、議院内閣制で間接的に選ばれた制約は付いて回ります。小泉さんのように、その状態を変えることに成功した人も居ますが。そして一年生議員は、いかに有名だろうが丁稚奉公です。小泉チルドレンみたいに使い捨てさえ、されかねません。国会議員から地方の首長になる人は居ても、地方の首長から国会議員というのは珍しいでしょう(地方の議員から国会議員はたくさん居ます)。それだけ、魅力が薄いのです。

今度の騒動では、東国原知事が目立って得をしただけで、他には誰も得をしていません。うまく、してやられただけではないでしょうか。知事は国政には強い興味を持っているようですが、一兵卒、あるいは総務相という将校であっても駄目で、大将として迎え入れられない限りは、興味は無いでしょうから。

ほんと、騒ぎすぎ。

2009年6月23日 (火)

他人の話を理解しようとしない人

久しぶりに出会ってしまいました、他人の話を聞かないのではなく理解しようとしない人。

話はこちらの専門の件で、専門であるがだけに、良い点もあるが限界もあるということを言ったわけです。そうすると、それは駄目だ、専門家であるならば良い点を伸ばしていくのが義務ではないかと仰る。別に伸ばせないとか伸ばさないとかではなく、現時点での良い点と限界点とを言っているのですと申し上げても、話が進まない。困りました。

議論と言うのは、相手の話を理解したうえで、論理的に問題点を指摘したり主張を述べたりするものです。朝まで生テレビ的な自分の意見を声高に主張して相手を言い負かすようなやり方や、とにかく相手に勝とうとする悪い意味でのディベートは論外ですけど。自分が気付かなかったことを指摘されたり、新たな視点を提示されたりすると、それは有意義なものになります。ヘーゲル的にはアウフヘーベンということになるでしょう。

ただ、それをできない人が居るのですよね。意見を整理しても、自分と相手の意見の違いを提示しても、そういった話はまったく聞かず、ずっと同じ主張を繰り返しているだけの人。十年前なら怒ってましたが、人間丸くなるもので、面白く見てましたけど、疲れました。

議論をするには、相手の主張を尊重するという大前提が無ければならないですね。

2009年6月22日 (月)

生活保護の母子加算が廃止とか

どうして、この国は生活できない人を更に追い込むような真似をするのか。

この点に関して、小泉内閣の骨太方針が元凶であるという意見には与しません。社会医療費削減は喫緊の課題であり、必要なことです。しかし、削減する対象が、まったく間違っているのです。生活保護の母子加算廃止、後期高齢者の負担増、障害者自立支援を謳った負担増、どれもこれも声を挙げられない人ばかりを狙ったものです。

生活保護にも課題はあります。本当に働けないのか、働く気が無いだけではないのかといったケースや、詐欺に近いケースもあります。しかし、だからといって、本来、必要としている人までもから、むしりとっていくことは無いと思うのです。子供を抱えた母子家庭は、働こうにも子育てで大変ですし、保育園に預ける金だって馬鹿になりません。そうしたケースは、国が守らねば。少子高齢化が進む中、ますます子供は国の宝なのに。

弱者の味方を標榜してバラマキ政策を進めている公明党も、賛成したのですよね。化けの皮が剥がれた感じです。

生活保護を単純に削るのではなく、本当に困っている人に渡っているのかどうかに、力を注ぐべきだと思うのです。無駄遣いしていないかどうかをチェックすべきだと思うのです。決して、一律に削れば良いと言うものではありません。自助努力?働ける環境に無いのに?もちろん、生活保護にだけ頼る状態はいけません。だから、保育環境を整えて、働くための施策(必要なら技能教育等も含めて)を実施すべきなのです。そうやって環境を整えて、生活保護に頼らないように誘導するのが道筋です。そうではなく、削減して、後はなんとか生きていけ、と?そりゃあ、無理でしょう。

お寒い国です。

2009年6月21日 (日)

携帯電話至上主義

携帯電話もすっかり日常となり、もしかしたら身体の一部になっているのでは、の今日この頃。

講演会がありました。1000人位の大会場。講演も佳境に差し掛かり、皆が聞き入っているそのとき、そこに響く着信音。まあマナーモードにするのを忘れたのでしょう。恥ずかしいですが、うっかりミスは誰にもあります。っと、また着信音が鳴り響きました。別の人です。えっとですね、なぜ一度目に鳴ったときに、自分は大丈夫か確認しないのでしょうか。一度目の人はうっかりで済ませられても、二度目の人はうっかりではないでしょう。おっと、その人は、電話に出てしまいました。電話に出ながら出口に向かって外で話そうなどというのではなく、その人は、自分の席で話し始めたのです。小声とは言え、隣の人は気になるでしょうに。

ある説明会にて。重要な話に掛かったのに、突然着信があったのでしょう、電話に出て外に向かう人。先の、会場で出る人よりはマシですが、説明が途中です。案の定、その人が帰ってきてから、再説明です。どういうこと?

昨今、若者のマナー違反を指摘する声が多いのですが、携帯電話においては、マナー違反は、概ね、年寄りです。新しい機械が出てきて、使い方が分からないとか、ルールが分からないとかはあります。ですから、分からなくて知らなくて結果的にルール違反になるのは仕方がありません。しかし、携帯電話に出るかどうかなんてのは、携帯電話に慣れているかどうかではなく、基本的なマナーの問題です。立派な身なりをした人が、堂々とマナーを無視して、携帯電話に出るのは最優先事項だとばかりに振舞うのは、悲しすぎます。

今、一番偉いのは、総理大臣でも社長でも偉人でも誰でも無く、きっと携帯電話なのでしょう。

2009年6月14日 (日)

チーズはどこへ消えた

数年前に話題になった本ですが、遅ればせながら読みました。

この世に変化しないものなどありません。毎日、同じ日々が続いているようでも、実は少しずつ変化しています。諸行無常の世界です。物理学的にも時間が経つということは変化をするということらしいですし、自分自身の細胞は常に入れ替わっており昨日の自分は今日の自分とは違うのです。世の中が変化していることを気付かずに、まったく同じであると考えて、同じであることを目指していたら、環境の変化に取り残されてしまうでしょう。もしかしたら、変化しない遺跡となった自分を誰かが発見してくれるかもしれませんが、確率は低いでしょう。経営者は、変化を見極めて対応しなければならないのです。

ただ、「チーズはどこへ消えた」という本の内容には、ちょっと素直に受取れないところもあります。直感行動を推奨しているように思えるのです。そうではないと思いますがね。現在の外部環境を分析して、それから自分の行動を決めなければならないのであって、ただ変化すればよいというものではないのですから。世の中が変化しているとは言っても、自分は敢えて変化しないという戦略もありえます(これは何も考えずに変化しない場合とは異なります)。

「動かないと駄目なんだ、変化しなければ」ということが結論だとすると、単純すぎるでしょう。それとも単純だからこそ真理が含まれているといったような、(勝手な)深読みができるからでしょうか。これが宗教の本だと言うのなら、理解できないことはないのですが。これを経営者の皆さんがあり難がって読んでいると思うと、その会社の経営が不安になります。

この本が、どうしてベストセラーになったのか、不思議です。

2009年6月 9日 (火)

二択は思考停止

物事を単純化して検討することは必要です。でも決めるのに二択とは。

民営化に反対だった人たちが騒いでいます。現在の経営陣に対して批判を連ね、社長人事に対して反対しています、ちゃんとした指名委員会で決めたのに。確かに、かんぽの宿を巡る対応には問題がありました。高いコンサル料を払って安く売っぱらってしまうのは乱暴でした。また、最近の障害者団体を装った郵便詐欺事件への現場の関与も問題です。でも、それって全て現経営陣の責任でしょうか。

元々は、郵政を国が運営することに対して、簡保や郵貯の民業圧迫問題、郵便の専有での民間事業者排除問題、特定郵便局の不透明な世襲制、かんぽの宿などに象徴される非効率な経営、これらが問題だったはずです。現在の問題は、元々持っていた問題が、未だに解決できてないということであって、民営化したから発生した問題ではないのです。ところが、現時点での問題は民営化が元凶で、元に戻せばすぐに問題は無くなるかのような短絡思考を、鳩兄弟が主張しています。

元々の問題を、民営化すれば解決するかのような小泉改革も単純で、そんな簡単に解決するものではありませんでした。しかし、民営化することで少なくともマシになるということで民営化したはずです。それが問題があるからと言って、民営化反対とは、元に戻せば現在の問題が解決すると、どう証明できるのでしょう。

問題があれば解決策を練って実行する、それで解決しなければ、解決策に問題があったか、まだ足りないか。あるいは、何か支障があるのか。そういった現状を把握しないと、正しい解決策など生まれません。現状を認識せず、騒ぐだけでは単純すぎます。二択のどちらかにすれば良いと言う問題ではないのです。どちらかではなく、その間に解決策があることの方が多いのです。

どうして政治家って短絡思考なんでしょう、あるいは有権者・国民が短絡思考過ぎる?

2009年6月 3日 (水)

コミュニケーションは難しい

意図が充分に伝わらないことが多々ありまして。

1.ある集団にある依頼をしたときのこと。情報を貰うだけで、それによって何か責任を持って欲しいということではないのですが、それでも「責任が持てないから答えない」という回答をしてきた人が居ました。忙しいとか、別の理由で答えたくないなら、それはそれで仕方が無いと思いますが、「責任を問うようなものではない」と明記しているのに、それでもそれを理由にされると、説明の仕方が悪かったのかとか、いろいろ反省してしまうわけです。

2.進め方の説明をするためにメールで、「Aで行きましょう」と書いたのですが、「『Bで行こう』とも読めるのですが?」と返信があったこと。なんで書いてないことを深読みして、責めるような文面で質問してくるんだろう。文章力に、ますます自信が無くなってくる今日この頃。とは言っても、質問してくる人の文章力が素晴らしいというわけではないのだが。もう少し表現を考えて欲しいなぁ、と。

3.電話があり、「今日の会合、忘れてないよね?」と。すっかり忘れていました。なんのことか分からなかったくらいです。ただ、徐々に思い出していくと、お誘いの話はあったのですが、行くという返事はしてなかったのですね。まあ、行かないという意思表示もしていませんでしたが。しかも、よくよく思い出してみると、ちゃんとした誘いの連絡をしますということで終わったと記憶しているのです。だから、一旦、忘れることにしたのです。それなのに、なんか忘れているこっちが悪いような言われ方で電話が終わってしまって。

3題。なんで主張する人は自分が正しいという前提で主張してくるのだろう。そして、やんわりと「違うよ」と返しても無反応なんだろう。ちょっと気の悪いことが続いた数日でした。ああ、やる気が…。

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